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林 富士馬の生涯


大変興味があります。
林 富士馬のまじめな話。実は知らないことばっかりでした。

林 富士馬(はやし ふじま 1914年7月15日 - 2001年9月4日)は東京府出身の詩人、文芸評論家、医師。

東京府大曲に生まれ、父母の郷里である長崎県に育つ。長崎では芥川龍之介の門人だった渡辺庫輔と交友。慶應義塾大学文学部在学中に佐藤春夫の門人となり、1935年夏頃、佐藤邸にて太宰治と知り合う。1939年、佐藤春夫の序文を得て、第一詩集『誕生日』(私家版)を刊行(林修平名義)。しかし、薬物中毒や自殺未遂を繰り返す太宰の激しい生き方を見て一度は文学を断念した。

慶應義塾大学を中退して日本医科大学を卒業し、医師となる。1943年、文学青年時代の三島由紀夫と知り、当時まだ無名だった三島の才能を高く評価。三島は後年、回想録『私の遍歴時代』(1964年)の中で「私は日本浪曼派の周辺にゐたことはたしかで、当時二本の糸が、私を浪曼派につないでゐた。一本の糸は、学習院の恩師、清水文雄先生であり、もう一本の糸は、詩人の林富士馬氏であつた」と述べている。

戦前から戦後にかけて『天性』『まほろば』『曼荼羅』『光耀』『プシケ』『新現実』などの同人誌の中心人物として活躍。第二次世界大戦後は小児科医を開業。1958年7月から『文學界』で同人誌評を担当(1980年まで)。この功績により、1979年、駒田信二たち3名と共に第27回菊池寛賞を受けた。

1996年、勉誠社より『林富士馬評論文学全集』が刊行された

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年02月13日 18:45に投稿されたエントリーのページです。

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